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「経営のプロ」森統則氏が挑む、次なる「企業再生」と「成長戦略」

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<本ブログの運営目的は広告収入です。本記事においては私ジェシカから取材を打診し、取材費をいただき、独自の見解にて記事を執筆する許可をいただいた上で掲載しています>


香川県の手袋メーカー社長

「香川県」と聞くと、どんな特産品を思い浮かべるでしょうか?

讃岐うどんを生んだ「うどん県」として全国でも有名で、良質な地酒や郷土料理、漆器などもよく知られています。

しかし、そんな香川県に国内最大のシェア9割を誇る工業製品の一大生産地が存在していることは、あまり知られていないかもしれません。

瀬戸内海を望む四国東端にある東かがわ市は、日本一の「手袋の産地」でもあるのです。現地には数多くの手袋メーカーがあり、長い歴史の中で独自の技術を培ってきた会社も少なくありません。

そんな会社のひとつが、「経営のプロ」として知られる森統則(もり むねのり)氏が代表取締役を務めている川田工業株式会社です。

創業100年超の老舗、創業家以外の経営者は初

川田工業が東かがわ市でメリヤス手袋の製造を開始したのは、大正時代の1920年。1934年には皮革手袋(ドレス用)の製造を開始し、高度経済成長期の1967年にはゴルフ用手袋の生産に乗り出しました。

1978年にはインドネシアに工場を建設し、1993年には中国浙江省で合弁会社を設立。コンピューターによるゴルフ用オーダーメイドグローブの自動裁断システム(JUST FIT system)を開発し、現在はゴルフ・スポーツグローブ専門メーカーの道を歩んでいます。

国内外で事業基盤を固めてきた川田工業の代表取締役に森統則氏が就任したのは、創業100年を超えた20226月のことです。川田工業の経営トップ交代は1988年以来実に44年ぶりで、創業家出身以外の人物に白羽の矢が立ったのは初めてのことでした。

さて、そんな森統則氏とは、どんな人物なのでしょうか?早速、経営者として残してきた輝かしい実績を紹介しましょう。

数々の企業を黒字化した実績

森統則氏は1969年に東京都足立区で生まれ、早稲田大学を卒業後に三井物産に入社しています。その後、兵庫フットボールクラブなどを経て家業の菓子製造・販売会社の経営に関わり、債務超過の危機を脱して黒字転換させました

2018年にはRIZAPグループに入社。翌年からは傘下のサポーター製造・販売会社社長を務め、10年間も続いていた慢性的な赤字体質を改善して収益を出せるまでに再生しています。

家業の会社がJリーグクラブ・東京ヴェルディのスポンサーだったことから、企業がスポンサーとしてのメリットを最大限に引き出すための術も学んだという森統則氏。ビジネスのキャリアで培ってきた「企業再生」と「成長戦略」の実績が高く評価され、2021年にはJリーグクラブ・ザスパクサツ群馬の社長就任も請われています。

そうした経歴を踏まえ、2022年1月に始まった川田工業への関わりもまた、「企業再生」と「成長戦略」を支援するためのものでした。

自社ブランド確立に乗り出す決断

川田工業はそれまで、他社ブランドの商品を製造するOEMに徹していました。しかし、代表取締役となった森統則氏が会社の発展のために必要と考えたのは、消費者の声をダイレクトに取り入れた商品開発力を高めることです。そのため、自社のECサイトでゴルフ用グローブの販売に乗り出す決断を下しました。

オリジナルブランドの確立に向けては「世界に1つだけのグローブ」「あなたにピッタリのグローブ」「羊の革10色から選択可能」をテーマに掲げ、ウェアやシューズとカラーコーディネイトができるように工夫しています。

マジックテープのベルト部分にはイニシャルの刺繍のほか、愛する家族やペットの写真、モチベーションアップにつながるキーワードをプリントできるなどカスタムも自在です。

もちろん、OEMの商品を作るだけなら、JUST FIT systemの高い技術があれば十分に違いありません。しかし、ブランドを育てるためにはどんな付加価値が必要なのか。ビジネスの経験と実績が豊富な森統則氏は、それを知り尽くしているということでしょう。

大学時代はサッカー選手として活躍

実は、森統則氏が磨いてきたのは、ビジネスの世界の経験だけではないのです。大学ではサッカー部に所属し、アスリートとしても活躍してきました。ちなみに、ザスパクサツ群馬の社長時代にトップチーム監督を務めた元Jリーガーの奥野僚右氏は、大学の2年後輩に当たります。

自らもスポーツに打ち込んできた経験は兵庫フットボールクラブの仕事などでも活かされたはずですが、自社ブランドの確立を目指す川田工業の商品開発・販売にも大いに役立つに違いありません。プレーヤーとしてさまざまな道具を使ってきた経験を活かせる境遇にあるスポーツメーカーの経営者は、全国を見渡してもそれほど多くはないでしょう。

川田工業には、薄さ0.5ミリから0.7ミリの上質な革のみを加工して素手のような感覚のゴルフ用グローブを作れる高い技術があります。その技術はOEMを通してさまざまな企業に高く評価されてきましたが、自社ブランドの成功に向けてはエンドユーザーのゴルファーに直接訴求し、受け入れられなければなりません。

スポーツで得た学びをビジネスに活かす視点

サッカーに精通する森統則氏は、ワールドカップカタール大会の予選で日本代表がスペイン代表に勝利した後、自身のSNSでこのような言葉をつづっています。

「目指す方向性を明確にし、最後まで諦めずにやり切る。やっていることと仲間を信じて一枚岩になれると、必然的に結果に導かれる。それは会社組織でも通じることを改めて学びました」

このコメントからはやはり、スポーツで得た学びをビジネスに活かそうとする姿勢がうかがえます。森統則氏にとっての「仲間」というのは、川田工業で働く全ての「社員」であることに他ならないでしょう。

東かがわの手袋産業に光明

東かがわ市の手袋生産の原点は1888年、市内の寺の副住職が大阪で手袋を作り始めたことでした。市内では今や、世界の有名アスリートたちが契約している一流ブランドの手袋も製造されています。

しかし、東かがわ市の手袋メーカーの生産形態の大半を占めているのはOEMです。どれだけ優れた製造技術を持っていても、OEM先が選手名を打ち出して自社をPRすることは契約上できません。

国内シェアの9割を占めている事実があまり知られていない背景には、そうした事情もありますが、国内の野球、ゴルフ人口が減少していると言われている昨今、ブランド力の創出と向上は東かがわ市の手袋産業にとって喫緊の課題でもあるのです。

川田工業の挑戦は、地元業界が抱える課題を解決するための挑戦でもあります。もちろん、一流ブランドのOEM先として期待に応えられているのは実直なものづくりを貫いているからこそと言えますが、どんな業界も企業も時代の変化に対応しなければ歴史と伝統を紡ぐことはできません。

「経営のプロ」の手腕に募る期待

川田工業が新たな視点を持つ外部の人材に経営の舵を任せる決断を下したのは、戦後の混乱期を乗り越え、早くから海外進出も果たすなど幾多の時代の変化をくぐり抜けてきた経験があったからかもしれません。

創業100年を超えて直面した時代の変化に向き合った結果、スポーツビジネスに長けた森統則氏が迎え入れられることになったのは、むしろ必然だったとも言えるでしょう。

自社ブランドの確立に向けて新たな一手を打ち出した森統則氏は、日本のものづくりの未来にもどんな可能性をもたらしてくれるのでしょうか?

「経営のプロ」の手腕に寄せられる期待は、ますます募るばかりです。

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