<本ブログの運営目的は広告収入です。本記事においては私ジェシカから取材を打診し、取材費をいただき、独自の見解にて記事を執筆する許可をいただいた上で掲載しています>
小僧寿しが期間限定の『嫌がらせ弁当』キャンペーン🍣を実施中❗❗❗
映画『嫌がらせ弁当🍱』とコラボしたお弁当なので、
商品名は『嫌がらせ弁当🍱』なのですが、さすがは小僧寿し❗❗❗
ぜんっぜん、嫌がらせじゃない\(^o^)/
小僧寿しの愛が詰まった『嫌がらせ弁当🍱』です♪
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(画像引用元:小僧寿し×映画「今日も嫌がらせ弁当」 第2弾 コラボキャンペーン! | 小僧寿し)
サーモン、いくら、えびなどの海の幸をふんだんに使用した3段弁当!!
なんですか!この嫌がらせ要素ゼロの嬉し過ぎる『嫌がらせ弁当』は!!!
今すぐこのお弁当を持って電車に乗り込んで旅に出たいです(笑)
こんなお弁当が毎日食べれるなら、毎日嫌がらせされたいものですね(笑)
さて、そんな小僧寿しは、さまざまな戦略にチャレンジしているようです。
今回の『嫌がらせ弁当』も小僧寿しのチャレンジの一環だと思われます。
今回は、歴代の経営陣のひとりにスポットを当てて調べてみたいと思います。
小僧寿しチェーンでかつて代表取締役を務めた木村育生さんという人物の
半生を追ってみました。こちらが木村育生さんです。
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他にも、西武ドームの命名権を獲得したり、株式会社ダーウィン(インボイスRM)の
元代表取締役を務めていたりと、さまざまな経歴を持っている人です。
そのチャレンジ精神旺盛な人生を覗いてみましょう。
目次
木村育生さんの経歴
まずは、木村育生さんの簡単なプロフィールをご紹介します。
<プロフィール>
きむら・いくお 1958年7月8日生まれ。82年慶應大学商学部卒。同年、米国のミシガン州立大学へ留学。84年テキサス州ヒューストンの貿易会社に入社。85年帰国と同時にI・Q・Oを設立し、代表取締役に就任。92年ゼネラル通信工業へ社名変更、さらに2001年にインボイスに社名変更。05年ソフトバンクとインボイスで日本テレコムインボイスを設立し、社長に就任。07年ダイナシティ社長、11年イコールパートナーズ社長、12年3月、小僧寿しを買収して、社長に就任。13年小僧寿し社長を辞任。14年クロスチェックを創業し社長に就任。
木村育生さんは、さまざまな会社の代表取締役社長を経験している人物です。
経歴をみる限り、平社員としての経験はテキサス州ヒューストンの貿易会社での
勤務経験のみのように思います。
木村育生さんは、海外での留学・就業経験を活かし、帰国と同時に会社を設立します。
それが株式会社I・Q・Oという会社です。
株式会社I・Q・Oは、その後2度ほど社名を変えており、
現在は株式会社インボイスという社名になっています。
(※木村育生さんは2011年にインボイスの社長を退社しています。)
(画像引用元:株式会社インボイス)
インボイスは、現在は髙野瀬明郎さんという方が社長を務めています。
インターネットを使用した「一括請求サービス」を手がけており、
順調に業績を拡大し続けています。
<株式会社インボイスの詳細はこちらから↓>
インボイス時代に西武ドームの命名権を獲得!
木村育生さんがインボイスの社長を務めていた2005年の頃、
インボイスはライオンズの2軍と西武ドームの命名権を総額4億5000万円で買収し、
ライオンズとの関係を急速に深めていました。

もともと木村育生さんはバスケットボールを中心にスポーツには関心があり、
球団経営には積極的な姿勢を示していました。というのも、当時は楽天やライブドア
などのIT企業がこぞって球団経営に意欲をみせている時代でした。
木村育生さんは西武ドーム命名権を獲得した理由をこのように語っています。
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「プロ野球チームに協力しているなら景気は悪くないんだろうなという感じで商売がスムーズにいくんです」(引用元:インボイス、西武ライオンズ買収の可能性も。 | Narinari.com)
なるほど。たしかにおっしゃる通りで、プロ野球チームのスポンサーになるには
多額の費用がかかりますから、プロ野球チームへの協力することそのものが
「我が社の経営は順調ですよ」という宣伝になりますね。
協賛資金が払えることは経営が順調である何よりの証拠です。

ちなみに木村育生さんは球団の買収は考えなかったそうで、
その理由を以下のように語っています。
↓↓↓
「あの頃は、堀江貴文さんがプロ野球の球団を買収すると騒いでいる時期でした。私自身も西武ドームの命名権を購入していたこともあり、『インボイスも西武球団を買収するのではないか』と騒がれたものです。球団を買うには全然足りなかったですけどね(苦笑)」
(引用元:長者番付トップ100に見る「驚愕の格差」〜人生が狂った大富豪たち(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/3))
時代の寵児ともてはやされたIT社長達がこぞって球団買収に乗り出した時代では
ありましたが、やはり球団そのものを買うというのは相当な資金力が必要なようです。
インボイスの社長時代の木村育生さんは長者番付に載るほどの大金持ちでした。
当時、インボイスの売上は年間約800億円を超え、総資産は200億円ほどありました。
そして、インボイスは売上約400億円・総資産600億円という高条件のダイナシティの
買収に成功し、さらに業績を拡大していくのです。

なぜインボイスを辞めて小僧寿しに入ったのか?
さて、木村育生さんのここまでの経歴をみて誰もが「成功者」と思ったことでしょう。
設立した会社(インボイス)は球団の命名権を獲得できるまでに急成長し、
買収にも成功してさらに業績を拡大させていき、
個人としても莫大な資産を得て「長者番付」に載るほどのすごい人になります。
公私ともに順風満帆で、絵に描いたような成功者です。
ところがそんな木村育生さんに2010年以降、大きな転機がいくつも訪れます。
2011年にインボイスを退社し、全くの畑違いである小僧寿しの社長に就任するのです。
小僧寿しは決して順風満帆な経営状況ではありません。
失礼ながら赤字経営の小僧寿しに入ることは火中の栗を拾いにいくようなものです。
これほどまでに成功を収めていた木村育生さんが、一体なぜこのような挑戦をしたの
でしょうか?また、小僧寿しの社長に就任して、会社の業績はどう変わったのでしょうか?

小僧寿し入社の理由は「やんちゃ魂」
木村育生さんがインボイスを辞めて小僧寿しに入社した理由については、
一言でいうと「やんちゃ魂」だったそうです。「新しいことに挑戦したくなった」
というチャレンジ精神が理由なのだそうです。
インボイス時代に十分過ぎるほどの成功を経験し、業績が安泰になり安心する一方で
だんだんと今の仕事には満足し切れなくなりました。インボイスでやりたいことは
一通りやり終えたという燃え尽き症候群のような感覚があったのかもしれません。
何か新規事業がやりたい…木村育生さんの胸にフツフツとそんな「やんちゃ魂」が
沸き起こっていたときに、ちょうど出てきた話が「小僧寿し」への転身でした。
しかし、インボイスと小僧寿しは全くの畑違いです。
業種も店舗数も従業員数もこれまでと全く違います。
木村育生さんにとっては明らかな畑違いであり、全く未経験の分野です。
そして何よりも、小僧寿しは業績が芳しくないので、
現状に甘んじずに次々と改善策を打つことが求められます。
新しい世界に飛び込むリスクを木村育生さんは十分にわかっていましたが、
リスクよりも好奇心が勝ちました。新しい場所で、また自分の可能性が試せること
が刺激的だと判断したのでしょう。2012年に小僧寿しの社長に就任するのです。

小僧寿しは知名度は抜群でしたが、競合である回転寿司チェーン店の台頭とともに
少しずつ優位性が薄れてきているのも事実でした。
木村育生さんが小僧寿しの社長に就任してからは、
100%常勤で毎日小僧寿しの本社に来て、そのほかの仕事は一切しませんでした。
木村育生さんが小僧寿し社長時代に行った戦略
もともと小僧寿しは80年代~90年代前半に大人気となった寿司屋さんでした。
私が子供の頃にはもっとたくさんの店舗がありました。
かつての小僧寿しは、「お寿司の持ち帰りができるお店」として人気で、
お寿司を食べたい日は小僧寿しに注文するという家庭が多くありました。
しかし90年代後半~2000年以降は、競合にあたる回転寿司チェーン店が急成長を
みせました。1皿100円という安価で本格的なお寿司を食べることができて、
テイクアウトもできるという回転寿司チェーン店はまたたく間に大人気になりました。
イートインと持ち帰りの双方ができる競合の回転寿司チェーン店に対し、
小僧寿しはさまざまな策を練って奮戦します。

木村育生さんは、お寿司以外のサイドメニュー(蕎麦など)を構想したり、
店舗の雰囲気を高級感の溢れるものに変えたりと、
エンターテイメント性に富んださまざまなアイデアを打ち出します。
木村育生さんが社長に就任した時期には、2月の恵方巻きの売上で過去最高を記録する
など、小僧寿しにいくつかの明るい兆しがみえました。
社長として一定の成果を出したと言ってよいかと思います。
そして、2013年に小僧寿しの社長を退任し、また次の道に進むのです。

木村育生さんの現在の姿がこちら
木村育生さんは、2014年に株式会社クロスチェックという会社を創業し、
現在はこの会社の代表取締役社長を務めています。
<株式会社クロスチェックの公式サイトはこちら↓↓↓>

クロスチェックは、企業の健康診断をする「オフィスドック」や
企業のコスト削減を実現する「一括請求サービス/クロスチェック」などの
サービスを提供しているIT系の会社です。
このように、さまざまな会社で代表取締役社長を務め上げ、
いつの時代もさまざまな事業に挑戦し続けてきた木村育生さん。
一見、成功者にみえますが、その成功の影には人知れぬ努力があったことが伺えます。

―― 一体、何がそんなにも彼を突き動かすのでしょうか。
その理由は、常に新しいことへの挑戦を求める「やんちゃ魂」なのかもしれません。