<本ブログの運営目的は広告収入です。本記事においては私ジェシカから取材を打診し、取材費をいただき、独自の見解にて記事を執筆する許可をいただいた上で掲載しています>
小さい頃、童話が苦手な子供でした😰
大人になり母親になった今、子供に童話の読み聞かせをしていても、
やっぱり童話が苦手だなと感じます😰
――しかし、一体、童話の何が苦手なのか❓
自分でもよくわからなかったのです・・・。
「何か違和感を感じるから」という漠然とした理由だったのですが、
その違和感の”正体”を表現する言葉が見つからないまま
大人になってしまいました。
先日、『ホンマでっかテレビSP』というテレビ番組に
漫画『ONE PIECE』の作者である尾田栄一郎さんが出ていて、
その違和感の正体を知りました。
尾田栄一郎さんは童話『オズの魔法つかい』の結末に対して、
子供心に納得がいかなかったと話し、
「大人が子供を教育する話が嫌い」
とおっしゃっていました。
そうそう❗本当そう❗❗❗
違和感の正体はこれだよーーー❗❗❗
と子供の頃の私に教えてあげたい(笑)❗❗❗
「この本を読んでどう感じるか」というのは読者の自由なはずなのに、
「こういう風に感じるのよ~」と誘導されているような違和感があったから
子供心に童話が苦手だったのですよね😰
大人が子供に対して「こう思って欲しい」という教訓めいたものがあって、
その教訓をゴールに作られた話というのが苦手でした💦
別に教育めいたものに同意できないわけではないのです。
「思いやりを持ちましょう」「困っている人がいたら助けましょう」
など、大人が子供に伝えたい教訓は素敵なものばかりです💦
でもそれは、子供が自分の力で読み取って納得したいわけで、
大人から無理やり押し付けられている感じが嫌だったのだと思います。
違和感の正体は「誘導されてなるものかー」という抵抗でしょう。
子供が理解できるように簡単にわかりやすくストーリーを作っているので、
大人の意図(教訓)が透けてみえるのが嫌でした(T_T)
さて、これらの前段を踏まえて、
童話『アリとキリギリス🐜🦗』をみてみましょう。
童話『アリとキリギリス🐜🦗』は、
毎日一生懸命働くアリ🐜と毎日楽しく遊んで暮らすキリギリス🦗を比較する話です。
毎日遊んで暮らしたキリギリス🦗は冬を越せず、
「アリ🐜の生き方が正しいよね。一生懸命働かないと。」という結末です。
子供心に「なぜアリ🐜とアリ🐜ではなく、アリ🐜とキリギリス🦗を比較して、
キリギリス🦗が愚か者ってオチなんだろう・・・」って思ってました。
働きアリ🐜vs怠けアリ🐜のような同じ条件で比較しないのが謎でした。
というのも、
キリギリス🦗って2ヶ月しか生きられないらしいです。
言わば「20代ピチピチの若者(アリ)」と「老い先短い80代老人(キリギリス)」
を比べて「働くのが正しいのよ」「真面目にコツコツ頑張ることが正しいのよ」
と言ってるようなものです(T_T)
『アリとキリギリス🐜🦗』は教訓ありきの話だと思います。
まず、教訓が先で、ストーリーは後づけだったのではないかと思います。
「真面目にコツコツ頑張って欲しい」
「地道に努力を重ねて欲しい」という教訓を込めたいという思いがあって、
その教訓に沿ったストーリーを作るのにちょうど良かった存在がキリギリス🦗
2ヶ月しか生きられないキリギリス🦗が
残されたわずかな時間を精一杯遊んで暮らすことは間違ってないよと。
遊んで暮らしていたから冬を越せずに死んじゃったわけじゃないよと。
子供の頃の私に伝えてあげたいものですね。
(子供の頃、違和感は感じていたけど、そこまでわかってなかった・・・)
この過酷な現実を踏まえると、童話『アリとキリギリス』は
「余命2ヶ月のキリギリスを例に
コツコツ頑張る重要さを説いた人間の残酷物語」です。
・・・・・・
などと補足しながら子供に読み聞かせしてたらキョトンとしてました(笑)
(当たり前だ。ごめんよ、子供。笑)
私がアレコレ言っちゃうのも「大人が『こう思え』と押し付けている」
ことになってしまいますね・・・反省。
こんなひねくれ者な私なので、
まず子供に読む「本選び📗」を頑張ろうと思います><